Inutabu-cape, Tokunoshima, 2024
ゆがみ 記録(2024,1/20-1/31)
2024年1月、鹿児島県の南に浮かぶ奄美群島の一つ、徳之島に2週間ほど滞在する機会を得た。もちろん、目的は写真を撮ることであったが事前に島について調べる事はしなかった。知識が入ってしまうと自ずとその地の歴史を辿るような写真になることが目に見えていたからだ。知っているというのは写真を撮る上で非常に大きな力を持っている。
今回の滞在を思い切ったのはどちらかというと自分自身についての興味からである。知らない場所に放り出されどのような写真が撮れるのか、非常に興味があった。
島へは鹿児島空港で小型の飛行機に乗り換えてから向かう。高度が下がるにつれて姿を見せたその島は生ぬるい空気と湿度をたっぷりと含んだ重たい雲に包まれていた。レンタカーを借り出発するとすぐにスコールのような大雨に襲われ、ワイパーをどれだけ動かしてもフロントガラス越しの景色はすぐに崩れていく。早速、島から手荒い歓迎を受けたような気分だった。
初日の夜。自分を試すとはいったものの、自分に何が撮れるかという考えがぐるぐるとまわり中々寝付けなかった。夜にはまた天気が崩れ始め、雨が屋根を叩く音の中にネズミらしき生き物の足音も混ざっていた。
島で数日過ごすうちに、ある気配に気がついた。それは島のそこらじゅうを漂っていた。風が吹けば消えてしまうほど呆気ないときもあれば、ずしりと重たく身体の中まで入り込み、息苦しさを感じさせるような場面もあった。あまり心地の良いものではなかったが、次第にそれを探すようになっていた。最初はこの季節特有の、島の重たい気候からくるものだろうと考えていたが、雨が上がっても消えることはなかった。
私は残りの時間を使い、どうにかしてこれを撮ってやろうと決めたのである。
海について(2024,1/24)
荒天の岬から見る海は水平線がとにかく高い。黒い海水がうねりをあげながら岩を叩き、その圧倒的な水量で何もかも奪っていくように見えた。
切り立った岩場を進めばもう少し近くで見れそうだったが、大きな波が来たり、足を滑らせたら簡単に死んでしまうかもと思った。そこには柵も、立ち入りを禁止する看板もなく、行こうと思えばいくらでも近づける。死があまりにもそばにあってドキッとした。自然は拒まない。
冷静になった私はその場で数枚シャッターを切り、しばらく眺めてから引き返した。そろそろ帰ろうかという頃には雲の隙間から差し込んだ光が見事な光芒を作り出し、ここでの体験をより特別なものにした。
帰ってからも顔についた海水の飛沫が私の肌をピリピリと刺激していた。
月について(2024,1/29)
思いつきで夜遅くに海へ向かった。その日は満月に近く、雲も程よく散っていた。
植物が生い茂る道を抜け砂浜へ出ると、月が放つ光でもう手元のライトは必要なかった。波の音以外何も聞こえない、明るい夜。
月の光を反射する海面、砂浜、アダンの葉。アスファルトを横切るヤドカリと思しき甲殻類。皆、月に一度訪れるこの神秘を味わっているようだった。
そして何より、月は明るいという当たり前の事に素直に感動した。
闘牛、青年について(2024,1/21)
闘牛士を目指す一人の青年に出会った。彼は日々の世話や砂浜でのトレーニング、さらには闘牛場の様子も見せてくれた。
牛を牛舎から練習場に移動させる際、柵のついたトラックに乗せて運ぶのだが自分もそこに乗せてもらった。撮影できるようなスペースはほとんど無く、ピントを合わすのも難しいほどだった。それゆえ一目ではその全体像を掴む事が出来ず、私の闘牛との初対面は、牛としてというより「巨大な黒い塊」としてだった。鼻息を荒げるその黒く大きな身体は、戦うための筋肉に包まれて美しく光っている。
顔には大きな角が2本。そのそばについている哀愁を帯びたような優しい目が印象的だった。そして、その隣で牛に繋がれたロープを掴み、激しく揺れるトラックの中で風を浴びる青年の目がそれに重なる瞬間が何度もあった。
洞窟について(2024,1/25)
島内にはいくつか大きな洞窟がある。そこから遥か昔に過ごしていた人達(2000年前とか3000年前!)の痕跡が見つかっているらしい。
長い時間をかけて作られた洞窟内の不気味な造形は、意識しなくとも何らかのイメージと勝手に結びつきそれにしか見えなくなる。表面は洞窟内の高い湿度で怪しく光っている。頭に付けたライトを頼りに奥まで進むと何かが祀られていた。昔の人はここで何を見たのだろう。
まだまだ奥まで進めそうだったが20分もいるとレンズが曇りだし、まともに撮影出来なくなったので諦めて帰った。
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(2024,8/20)
結局私はその存在について言葉にする事が出来ないまま島を出た。帰ってきてからそれについて誰かに話すこともなく、たまに撮った写真を眺めるだけでほとんどほったらかしの状態だった。
それから約半年、福岡県にある小倉城を訪れた際に『命(ゆがみ)』と名付けられた茶杓がある事を知った。これは切腹を命じられた利休が最期、自らの手で削り高弟である細川三斎に贈った茶杓である。正確な銘の表記については諸説あるそうだが、この時見た『命(ゆがみ)』という字面を見たとき、私は「なるほど」と妙に納得してしまった。そして生意気にもこの言葉なら島で撮った写真の説明が出来るかもしれないと思った。
多くの人が暮らす都市では、時間というのは目指すべきところがあるかのように皆一方向に進み、遠回りすることを嫌い、そしてその終わりは見てはいけないかのように次々と更新されていく。それを否定する気はない。都市とはそういうものだろうと思っている。
しかしここで感じた時間は、そこらじゅうで流れては途切れ、追い越し、破壊され、色褪せ、腐り、そして生まれていた。それはかつて命であったものにも等しく流れる。明確な境界を持たず複雑に絡み合い、島全体を包んでいた。それが「気配」として立ち現れ、私を不思議な体験へと導いていたのだろうか。
死してなお残り続けるもの。循環とも少し違う。死は長い。